TTM対話録 #06
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
志村季世恵さん & 北村たえさん 〈前編〉

2023.03.28
TTM対話録 #06 <BR>ダイアログ・イン・ザ・ダーク<BR> 志村季世恵さん & 北村たえさん 〈前編〉

ディレクター武笠綾子が展開するTHINGS THAT MATTER(以下TTM)のコレクションは『SENSE』と呼ばれる。SENSEが生まれるきっかけは彼女が体験したこと、興味関心のあること、日常で拾い集める感覚のカケラから派生していく。10回目に発表されたSENSEのタイトルは Dialog(対話)。武笠が「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DID)」での体験をきっかけに感じたインスピレーションから生まれた。そして、特別に設営されたTTM特別プログラムと同時に発表されたSENSEを通して、私たちは暗闇の中での『対話』に出会った。--

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは、世界47カ国で展開され、日本ではこれまで約24万人が体験したソーシャル・エンターテイメント。完全に光を遮断した純度100%の暗闇を視覚障害者のアテンドと呼ばれる案内人と共に探検し、視覚以外の様々な感覚、コミュニケーションを楽しむエンターテイメントのことである。(公式ホームページより)

今回の記事は、デザイナー武笠、DIDを運営する一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事の志村季世恵さん、アテンドの北村たえさんと共にこの世界を通して私たちが見ているものとは何か、それぞれの認識を擦り合わせるように対話した記録である。なお、当記事の中でインタビューに参加した人物が答えたそれぞれの『感覚の話』については、視覚障害者だとかそうでないとか、立場は関係なくただ一人一人の世界をそれぞれが普段どのように受け取っているか、そもそも個々それぞれが異なる感覚や価値観を持っているという前提でお読みいただけたらと思う。

※インタビュー中の名前については、普段DIDのスタッフが呼ぶように下の名前で【季世恵】と表記します。また、ガイドの北村たえさんに関しましてはプログラム体験中に呼ばれるニックネームを引用し【たえ】と表記します。

インタビュアー 淡の間


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前編

ー皆さん、本日はよろしくお願いします。そして前置きとして先にお伝えしたいのですが、なるべく気を払っているつもりでも今回のインタビューの中で私が不躾な質問をしてしまった場合はご指摘をお願いしたいです。それでは今回、TTMディレクターの武笠さんがDIDに出会った経緯、そして共作で特別プログラムを作った経緯などをお聞きしてもよろしいですか。

武笠:はい。DIDの存在はずっと気になっていたのですが2022年の夏頃にご縁があって初めて体験することができました。その時のプログラムは季節的なものが反映されていたこともあってか、暗闇の中で夏の情景を彷彿とさせるような体験と共に花火の描写があったのですが、それが本当に衝撃的で、涙が止まらなくなってしまって。いかに自分が視覚に頼っているのか、人間として生まれてきたからこその感覚を全力で感じて行きたいということに立ちかえることができましたし、デザイナーとして非常に感銘を受けたので代表の志村さんにお声がけしたところ快諾していただきまして今回の開催につなげられました。ご協力下さったみなさま、本当にありがとうございました。


ーでは、季世恵さんにも今回の共同開催についてのお話をお伺いしたいと思います。私が感じたDIDは『純度100パーセントの暗闇の中で行われる視覚を奪われる感覚の体験』という印象を受けています。TTMは洋服のブランドなので、どちらかというと視覚優位になりがちな業界とのコラボレーションだと感じたのですが、今回の共同企画にあたってどのようにお考えになった上でご承諾くださったのか。またはTTMに対しての印象などをお聞かせいただいてもよろしいですか。

季世恵:はい、まずですね、以前から衣服と暗闇は相性がいいなと思っていたんです。というのは私がプログラムの真っ暗闇の中で迷子になったことがあったんです。代表の私が迷子になってしまうのって結構恥ずかしくて「助けて」って言い出せなかったんです。お客様が混ざっているにも関わらずですよ。そこでどうしようと思ってたときにアテンドがね、私を助けに来たんですよ。こっちだよって。どうして迷子だってわかったのって言ったら迷子の音がしたよって言ったんです。迷子の音ってなんだろうと思いませんか?そのときに、衣擦れの音が違ったからね、少し細かくなったからと言ったんです。私はその時ワンピースを着てたんですけど、そのスカートの部分が擦れる音が伝わってきた。そういうとき大体の人は迷子になったときは、脚を大股には歩かないので、小股で歩くようになるので、衣擦れの音も細かいんだよって。音も変わるからその服が情報を出してくれるんだよって言ったんです。その人はおしゃれな人で、普段からこの衣擦れの音はいいなとかって思ったりとかするんですって。あと肌触りとかもそうで「あ、この肌触りはきれいだね」って言うんですよ。見えているように今日もきれいな服だねって言うんです。一体どうやってそれを判断してるんだろうと思う時に、手触りだったりとか布が触れ合う音で感じているというのを知ったときに、ああ、目が見えている人以上に感覚を使ったおしゃれな世界があるんだなと思ったんですね。だからいつか、それをどこかで繋げられたらいいなって思ったんです。そんな中、ディレクターの武笠さんからお声がけいただいた時点で、ああこれはいいお話だなと思ったのもありますが、何よりお話をしていると、彼女が感性や五感の部分をすごく大事にしていろんなことを知ってらっしゃる。ですからとても嬉しかったです。それが私の印象です。

ーとても嬉しいお言葉ありがとうございます。それでは次に、北村さんにも今回のコレクションへの感想をお聞きしてもよろしいですか。

たえ:そうですね、私は正直どんなお洋服をつくってらっしゃるのか全く何も知らないところからスタートしているのですが、コンセプトをうかがって、率直にすごく面白そうだなって思いました。実は今回展示なさっていた作品の前に、暗闇の中で皆さんに触れていただく布を先に見せてもらってたんですね。それから完成して展示された作品を後から見せていただいたんですけれども、素材の組み合わせも含めてコンセプトがデザインとして活かされているのが面白いなと思ってました。ただ素材がいいだけじゃなくてそれが着心地に直結しているとか、ちゃんと企画に反映しているとか、そういう使い方をされているのを実際に手にとって見せていただくことができたのも素敵だなと思っていました。

ーありがとうございます。今回初めて純度の高い暗闇の中で、全く目が慣れない、光がわからない、視覚を通しての知覚できない世界を体験した中で、いったい視覚障がいの方が普段どのように世界を映し出しているのか、見えないことで「見る意味」を問い直すという言葉が私の中に残ったんです。実際にこの世界を目で見ることができない方々はこの世界をどんなふうに映し出していらっしゃるんでしょうか。「映し出す」というのか「知覚する」というのが的確なのか、どういった状態に近いのでしょうか。

たえ:今これが回答になっているかどうか分からないんですけれども、ビジュアルっていうものが例えば映像や情景とかそういうものにリンクしていくとしたら、私がいろんなものを捉えている感覚っていうのがもっと三次元的というか、平面でもないんですね、例えば温度だったりとか、空気の流れだったりとか、もちろん物だったりとか、例えば布、衣料品の布だったら質感の柔らかさが醸し出している雰囲気ですとか、そういうもの全て捉えた上で総合的に立体というか、時間感覚も含めた立体というか、そういう捉え方をしている気がします。これがうまく伝えられているかが全然分からないんですけど、すみません。

ーありがとうございます。実は今回のプログラムを体験するに当たって、目が見える人のことを晴眼者と呼ぶと初めて知りました。眼が晴れていると書くのですね。普段私が体験したことのある「見えなさ」というのは光をつけたり眼鏡をかけることで大体は解消できるものなのですが、DIDのプログラムはとにかく真っ暗な中で全く目が慣れなくて周囲に何も分からない状態なので怖い、分からない、恐ろしい、見えない、そして不安だという気持ちが生まれます。そこをたえさんを始めとするアテンドの皆さんが真っ暗な中でも対照的な優しさと明るさを持って導いてくださるので、その明るい声に励まされたり一緒にプログラムに体験した皆さんの存在を感じることで「暗いけど一人じゃないんだ」と幾分か安心させてもらいました。あの暗闇とは対照的な温かさがDIDのプログラムの魅力といいますか人を惹きつける要因でもあると思うんですけれども、実際私たちは用意された暗闇の中にいるからそういった体験ができるわけですよね。アテンドしてくださる方がいるから分からなくなっても導いてもらえるという安心感のもとでこそ体験できることだと思うのですが、実際のところ空間を三次元的に捉えているとはいえ普段の生活での恐怖感だとか見えないことでの恐ろしさみたいなものはないんでしょうか。

たえ:実は私、このDIDのプログラムを通して多くの人は私にとっては知らない感覚である『暗い=ドキドキ・怖い』という状態があるんだなということを覚えたんです。そもそもの話なんですけれども、見えない人の中にはいろんな見え方・見えなさがあって、例えば光は見えるっていう人もいるんですが私は光も認識できていないんですね。そうすると、元々私は明るいという感覚を知らないので、実は皆さんがおっしゃっている暗いって感覚がないんです。なので常にニュートラルといいますか、むしろ『暗い』っていう感覚はDIDを通して皆さんから教わったというか、皆さんと一緒過ごしていて知った部分というのがすごく沢山あります。もちろん見えていない部分で不便だなって思うこととかちょっと気をつけなきゃいけないなっていう部分、知らないところを歩く時とかにあるんですけれども、元々「暗いからちょっと怖いな」って思ったことがないので、もしかすると皆さんが感じておられる「怖い」っていうこととはまた主旨が違うんじゃないかなっていう風には感じたりしています。それで、たまに参加者さんに「暗いって思うとドキドキするからちょっと目を休めるって思ってみてください」って言うと、皆さんの力がふって抜けることがあるんですよ。そういうことをプログラムを通して教えてもらいました。

武笠:たえさんの中ではどういった時に「怖い」という感情が生まれるんでしょうか。

たえ:そうですね…きっと「怖い」の指標は明るさではなくて、どれだけ分かってるか・分かってないかっていうことなのかなと。分からないことが『分かる』ことで恐怖感やストレスはどんどん減って行きます。ただ、それを認識するための手段は見ることではなくて例えば触れることだったり、実体験することだったり…なので、例えば衣料品とかも見て判断すること以上に感じることを大切にしていますかね。

季世恵:まず、実は目が見えない人たちは三次元的なものを捉えることがとても優れています。私たち(目が見える人たち)は既に平面しか見ていないので、三次元的な視点で物事を捉えていないんですね。例えば富士山をなんて例えるかっていうときに、北斎の絵を感じたりだとか、昔だとお風呂屋さん的だとかね、そういう絵や情景的なもので認識しますよね。でも目の見えてない人たちの富士山は、あの円錐の形ねって言うんです。目が見えてない人たちの学ぶ方法は、手で触ることや脳内の中に三次元を超えた認識の領域を持っているんです。一緒に歩くと、私は信号機の色は伝えてあげられるんだけども、たえちゃんの方がよっぽど認識が早いんです。あとは、沿線や電車の路線図も見えない人たちはそれがほとんど頭に入ってます。東京で言うと大江戸線が一番下にあるよねとか、道路がどんな風に走っているとか。これは世界を本当の意味で三次元的に捉えているんですね。それに対して私たちはいつも世界を平面図で捉えていますよね。三次元って言葉は本当は私は使えなくって、たえちゃんたちが使った方がいいと思ってるんです。

ーなるほど、私(目が見える側)にとっての「状況が分かるか・分からないか」っていう基準が、視覚優位である前提で話しているとよく分かります。季世恵さんとたえさん両方にお伺いしたいのですが、そもそも私たち三次元的な世界で生きている人間にとっての『目に見えない世界』、すなわち非物質の世界、霊的な領域についてのお話です。そもそもその霊的な領域のことを目には見えない世界と表現してしまいましたが、そもそも目が見えない方にとっての霊的な領域をどう知覚しているのか、あるいは季世恵さんにとってはその非物質の世界、スピリチュアルな世界をどのように捉えているのか、お二人にそれを聞いてみたかったんです。

季世恵:霊的な、スピリチュアルなことっていうことは例えばどういうことをおっしゃりますか?

ー私たちは肉体という物質を持っているので、その形を通して目で見るだとか鼻で嗅ぐだとか、あるいは触れることができる世界で生きている、つまり物質的な感覚を使って日常生活を知覚しているのでその真逆である非物質世界の領域、魂の領域のことを「霊的なもの」と認識しておりました。

季世恵:肉体的な領域を使っても知覚できないものがありますので、魂の領域とか言っても現実の世界とそう変わらないと思っています。大切な部分は同じだと思うので、それはスピリチュアルな世界でも現実世界でもそう変わらないんじゃないかなと。たえちゃんは祈ることをすごく大切にしてる人ですけど、たえちゃんの祈りと私の祈りは変わらないと思いますし。

たえ:そうですね、これをスピリチュアルな領域というのかどうか分からないんですけれども、実はそういう今おっしゃっているようなところに近いところに、もしかしたら私たちは常にいるのかもしれないなって思うことがあってですね。これももちろん見えない人の中にはいろんな人がいて誤差はあるとは思うんですけれども、空気そのものを感じるといいますか‥例えばDIDでは参加された数名の皆さんと一緒にプログラムを体験していただく訳ですが、入る時にものすごく緊張している方がいらっしゃったとしても私はその人の顔を見てその状態が分かるっていうことがないんですね。だけど、その空気がすごく緊張していたりとかするので、きっとこの人は今すごく緊張しているのかなというのが空間で伝わってくるということがすごく多いんですよ。で、そういう、例えば、明らかに顔色が違うとか、行動がぎこちないということを空気感そのもので捉えるということを割と日常的にやってるんだなと。それがもしかしたらそこが、今おっしゃっているような霊的な部分っていうのに近いというか、両方の境界線にあたる部分なのかなっていう風に感じるんです。世の中でいうスピリチュアルっていうものに対して私が敏感かどうかって言われると、普段そんなにそういうことを意識したり感じたりっていうことはあんまりないかなって思うんですけど、今お伝えしたみたいに日常的なこととして感じてる部分はもしかするとそれに近いかもしれないなあっていうふうにも思っています。ごめんなさい、なんかよくお伝えできなくて。

ーとんでもないです。本当に興味深いお話しでした。ありがとうございます。今の私の質問にも表れているように、私自身はあまりにも知らないことが多くてですね、どんなに心を寄せようと思っても実際には目は見えるし、平面で物事をみているし、いろんな意味での認識がまだ足りないんです。昨今、多様性を尊重しようだとかそういったことがいろいろ聞かれるようになったときに、どうしても当事者的な体験による認識や経験がない限り、本当の意味での分かり合いを共有することができないのではないかと思うことがあります。そういった意味で言うと、DIDっていうのは視覚優位の状況を失うということで目に見えない環境の体験ができる場だと私は思っているのですが、季世恵さんにとっての例えば多様性に関することや、あるいは私が言ったような当事者意識的な部分というのは普段どのように感じていらっしゃいますか。

季世恵:私たちは障がい者の人は不便で、気の毒な人なんだってことを伝えたいんじゃないんですね。全くそうじゃないんです。なぜかというと、見えない人たち・聞こえない人たちが豊かな感性を持っているとともに、これだけの知恵や力があるからです。なので障がい者の疑似体験ではないんですね、DIDって。対等に対話ができる場所です。人の成長というのは学問だけではなく出会いからでしか得られない部分がたくさんあるんですね。しかも偏りがあって自分の好きなタイプの人とか地元が同じであるとか同じ趣味を持つ者とかで集まりやすいんですが、親近感を覚えやすい共通の何かを越えた多様な人たちと出会うことによって自分たちの多様性が芽生えるというか、育ってくるというのかな。それが良い意味での学び、大きな楽しみでありそこが大事なんじゃないかなと思うことと、DID発案者のアンドレアス・ハイネッケは、平和のためにダイアログがあると言っているんです。(※注釈 対話のことであり、DIDのことでもある)彼はお父さんがドイツ人でしかも軍人、お母さんがユダヤ人でお母さんの親戚はみんなドイツ軍によってアウシュヴィッツで死んでしまったんです。そんな状況の中で二人が出会って、結婚をして、子を授かった。二人の子どもであるハイネッケは当初はお母さんもお父さんもドイツ人だって思ってたそうですが、あるきっかけをもってお母さんの方はユダヤ人でお父さんはドイツ人だって知ったときに、すごいショックを受けるんです。なぜなら戦争ごっこが大好きで、ドイツ軍が一番優れた人たちだと思ってたから。ところが自分の母親の家族を殺したひとたちがそこにいたんだ。自分の半分の血はそうだったんだって知ったときに、争いはどこからくるんだろうって考え始めるんです。その時に大切なのは、戦争の反対語は平和ではなくて、対話だって思ったそうです。対話をし続けることによってしか平和は存続しないっていうことを知ったと。その上、対話というものは双方の立場が対等ではないとできないんです、本当は。それで立場を対等にする場をつくるために彼は『暗闇』に出会ったんです。私たちは普段視覚情報を七割くらい使ってるので目で見て相手のことを判断してしまいます。それでは、暗闇の中で視覚を使わない状態での対話を発生させましょうと。そこで一番活躍するのが目が見えない人だと。で、目が見えない人たちも見た目だけで人を判断していないので、そこが素敵なんですよね。そこでようやく両者が対等になりますし、そこにいるのはただの自分であるということにも気づけます。ですので、当事者意識っていうのを感じる方は他にもいらっしゃるかもしれないけど、もう少し考えを深めていただけると、ここで対等に対話ができるといいなとか、色んな人と出会うことによって知らなかったことを知ることができるんだなって感じてもらえると私たちとするとこのプログラムは成功したなと思えます。なのでまだまだこれから磨かなきゃいけない部分がたくさんあるんですけど、見ず知らずの人と入ってもらって人っていいもんだなあとか助け合えるんだなあって知ってもらえる、そこがDIDです。一緒に参加した皆さんとお友達になっていただきたいんですね。ちなみにプログラムのわずか90分で出会って結婚した人もいます。

武笠:そうなんですね、すごい!

季世恵:仲の悪かったカップルがもう別れようと思って参加した最後のエンタメだと思ったら、結局和解して結婚しますっていうことを担当したアテンドに一番最初に伝えに来てくれた方々もいます。素敵でしょ。こんなふうにDIDは人と人が対等に出会い直すことができるプラットフォームでもあるんです。

ーまさに見えない部分での対話をしたような感じですね、その二人が。

季世恵:そうそう。

ー今のお話でやっと本当の意味で理解ができたと言いますか、DIDの会場は『対話の森』ですよね。そのタイトルの意図というか、暗闇が対等な立場で対話をするための場所であるということがやっと分かりました。季世恵さんにとっての初めてのDIDの体験で印象的なエピソードはありますか。

季世恵:私の場合は、一番最初からダイアローグに入ったんじゃなくて、お客様を迎え入れるための薄明かりの中で対話をする担当をしてたんです。ですので、自分の体験よりもお客様がどうやって出てくるかを知ってたんですね。それは今から24年前にあったんですけど、暗闇から出てきた時に泣いて出てくる方が多かったの。で、どうして泣いてるんだろうか、暗闇が怖かったんだろうかって思って聞いてみたらね、「私は私のことが好きだ」って思って泣いてるんですっておっしゃったんですよ。大学生の女性が。そしたら他の女性も、私もそうだよって、自分が一緒に参加した人が好きだと思ったから、自分自身のことも好きだと捉え直すことができたっておっしゃったんですね。私はセラピストが本業だったのでメンタルのケアのご相談が多いんだけれども、クライアントの心の状態が良くなってくる目安として、誰かが好きだって思えたとか自分のこといいなって思えた時が卒業なんです。大体2ヶ月、3ヶ月かかってそこまでいくんですよ。ところが、DIDでは90分でできちゃうのそれが。なんてすごいんだろうって思ったわけですよ。私が2、3ヶ月かかることが、90分で行えてしまう。そんな素晴らしい暗闇なんだなと感動したのが第一印象です。

ー素晴らしいですね!なんとなく自分に自信が持てないとか自分のことを好きになれないという人が少なくないと思うのですが、そのように思ってしまう気持ちの中にはおそらく漠然とした比較対象がいて、その比較対象に対して自分を無意識に比べて下に見てしまうということが起こっているのかなと思うんですが、今のお話から私が感じたのは暗闇にいることでようやく誰かと対等になれることが、結果として自分と対等になることに置き換えられてそれが自分を好きになるという体験に繋がるのかなと思ったんですけど解釈が合ってますか?暗闇の中でようやく何者でもない私に戻って自己受容できるというか。

季世恵:素晴らしいです、そうですそうです。世界中のダイアログが今47か国でやってますけど、プログラム中に交わされる言葉で一番多いのは「I’m here」なんですって。「私はここにいる」という意味。それは、今ここにいる自分を感じることができるということですよね。私はここにいる。あなたはどこにいるの、ここにいるよ、さあ手を携えて一緒に進もうって、こんなふうに声を掛け合いながら同じ状況下で協力しあえるのが『暗闇』の醍醐味なんですけど、世界中で体験した人たちが同じようにそうやってやってるのって素敵だなって。誰かと比較するんじゃなくって、ただの私がここにいるんだって。

武笠:素晴らしい体験です。ただの私がここにいると感じられることで、自分を受け入れられる90分ってものすごいセラピー効果があるんですね。

季世恵:そうですね、はい。


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