淡の間と武笠綾子の
感覚問答
#04 自己観察編

2022.12.22
淡の間と武笠綾子の<BR>感覚問答<BR>#04 自己観察編

ブランドローンチから一年

 

淡の間「THINGS THAT MATTERがブランドをローンチしてから一周年経ちましたけれど、武笠さんにとってはどんな一年でしたか?」

武笠「そうですね、基盤を作ることに徹した一年でした。ブランドをローンチしてからと言うもの、発表していくペースに従って今お会いしたいなっていう方にお声がけするとか、これが気になるから深めてみようというインスピレーションがどんどんアウトプットできたので結果的にたくさんの出会いに繋がったと思っています。あっという間でしたが、ようやくこんな感じかなという感覚が掴めたおかげでリズムが出来てきたという感じですかね」

淡の間「 THINGS THAT MATTERっていうプラットフォームを通してこその、いろんな出会いや広がり方があったんですね」

武笠「そうですね、はい」

淡の間「では特に印象深いクリエイションとか、SENSEはなんでしたか?当然ひとつひとつが特別だと思うんですけど、武笠さんにとって特別なSENSE、そして発表に至るまでのプロセスで印象的だったことなどはありますか?」

武笠「そうですね…やっぱり、7月ぐらいに発表した「earthing」っていうテーマかな。発表する1年前くらいに海に行って地球のエネルギーを感じるということをしてから、テーマをearthing=大地と繋がること、グラウンディングにしようと決めて。それからというもの、ずっとそのことが頭の中にありました。例えば呼吸をすることだったりとか、木に触ってみたりとか、気やエネルギーの領域に意識を向けながら頭の片隅にあるものと重ね合わせる作業を行って一年を過ごしました。その結果、必要なパーツが必然的に集まってきたような気がしていて。今年の5月、奄美大島にチームで一緒に行きましたが、それもearthingを体験する上での必要な出来事でした。なんと言いますか、インスピレーションを得てから日常に意識を向け、色々と試行錯誤しながら日々紐付けを行っているうちにどんどん表現そのものが深まっていくというか…完成形に対する思い入れが深いことも、プロセスそのものが印象的だったからだとすごく感じてます」

 

淡の間「奄美の体験は同行させてもらって、プロダクトを制作している工房を見に行ったりとか、その後も実際に制作に携わっている方のインタビューも行わせてもらったりと私もチームにコミットさせてもらって一緒にクリエイションに参加できたことがすごく印象深かったです。武笠さんにとってのモノづくりは本来、感覚体験による日常の延長線上にあるものがベースにあると思うんですけど、この数年のコロナ禍では、例えば外出がなくなったり、人と会わなくなったので感覚的なふれあいそのものが少なくなったじゃないですか。その中でearthingをするとか、実際に何かに触れて感じたことを落とし込むみたいなことを通して改めて自分の感覚を取り戻すとか、自分がこの体を持って生きているということを自覚した過程だったんじゃないかなって思いました。どんなに騒がしいこの東京の真ん中で生きていても、日々が目まぐるしくても、どんなに世の中が便利になっても、私はこの体を持ってこの感覚を持って生きている、この大地の上に根ざしている、と言うことはすごく単純なことかもしれないんですけど、その非常に根本的なことを思い出す原点回帰的なフェーズだったのかなって」

武笠「そうですね。制作のプロセスを通して肉体感覚を取り戻せたことは、THINGS THAT MATTERのテーマである『感覚を纏う』というコンセプトをあらためて確認するようなことでした。おかげで感覚を纏う、感覚の中にいるってどういうことだろう、と漠然としていたものを自分で確認することが出来ました。結果的にプロセスそのものが洋服に落とし込まれたり、その後の余韻がこれほど創作に影響すると言うことを肌で感じられてよかったです」

淡の間「実際の体験をそのままクリエイションに活かしていくということは、表現者にとってこういう効果があるんだなあというのを間近で感じましたね。あとやっぱり武笠さんは感覚型の方なんだなあっていうのも含めて印象的でした」

武笠「そうですね、そのSENSE(earthing)が終わっても余韻が止むことはなくて…それがきっかけで制作への向き合い方が変わりました。基本的に常に探求したいトピックばっかりなので、今は2ヶ月に1回発表してますけど、都度感じることがまた全然違うので、また来年同じことしたとしても全然また違うアウトプットができるだろうなと」

淡の間「ひとつひとつのSENSEを通しての問いかけがそのときの最適解のような形で発表されてる印象はありますね。きっと過去に発表されたものとこれから発表されたものが伏線回収みたいにつながっていく瞬間もあるだろうし、そのときは分からなかったけど今のこの感覚だったら表現できるなあみたいなことも多分、出てくるだろうし。これからもTHINGS THAT MATTERというフィルターを通して表現されていくことが楽しみです」

武笠「ありがとうございます」

デザイナー武笠綾子の関心事

 淡の間「では、今の武笠さんにとって関心があることや、いつか表現してみたいことはありますか?」

武笠「そうですね、こないだ公開された2023年の考察(淡の間が手がけた占星術的考察)を私もまた見直してたんですけど、やっぱり星の流れや自分の人生の繋がりがすごく面白くて。知れば知るほど、運命と宇宙と環境は一体なんだなと思って…その神秘性に関心があるのでホロスコープについては来年どこかでもうちょっと学びたいなと思っていますね」

 

淡の間「ホロスコープ、面白いですよね。綾子さんと私がつながるきっかけも星がきっかけでしたし。ひとりひとりの人間は別々の存在なのに、宇宙はいつも平等に影響していて、同じ線上に生きている中で用意されたいくつかの伏線を拾っていくのが人生だって思うと本当にドラマチックです。ひとつの集合体でありながらパラレルワールドを生きてる別々の存在のように思うんです、私の中では。運命の上で用意してきたものをちゃんと拾えるか、と言うのが星が教えてくれるカルマだと思います」

武笠「ホロスコープは、それぞれが用意してきたカルマのようなものを先に提示してくれる存在っていうことなんですかね?」

淡の間「そうですね、そういうものを翻訳して読み込めるマップや設計図のようだなと思いますね。占星術だけじゃなくて、世界中にいろんな占いがあるじゃないですか。東洋のものも、西洋のそれも、いろいろ。それって翻訳の方法は違えども同じ宇宙の源流を見てるんですよ」

武笠「翻訳家によってのニュアンスの違いみたいなものなんでしょうか?」

淡の間「そうですね、読み手の相性はあると思いますし、同じものを読んでいるのに人によってどう翻訳するかが絶妙に異なるのが星読みの面白いところかなと思います。だけれど、宇宙の意図は限りなく純粋なものなのに、その純粋なものに対して読み手の主観的な思いを込めたらそれは純粋なものじゃなくなるなあって。その多面的な部分も含めて面白いですが、なるべく源流に近づくにはどうしたらいいかを追求する終わりのない仕事だと思います。特にカルマの部分とかね。良いことだけ知りたいって思うし、有益なことの方が求めたいんですけど、それだけじゃない、もっと多面的な意味合いが全部そこに書かれているけど、やっぱり全部を読むことって難しくて…なかなか運命のマイルストーンを拾いきれないんですよ」

武笠「私は拾いきれているかなあ、運命のマイルストーン」

 

ジャーナリングについて

淡の間「昨年に引き続き2023年も自作のダイアリーをリリースするのですが、なんと嬉しいことに今年はTTMさんにオリジナルのダイアリーカバーも作っていただきました。武笠さんは普段から愛用してくださってますが、ダイアリーと共に過ごしたこの1年間、いかがでしたか?」

武笠「そうですね、私はだいぶこのダイアリーをヘビーユースしていて2つ使い分けてます。1つは日々のジャーナリング用として、2つ目は気づいたこと・気になったことのメモ用みたいな感じで。日々の愛おしかったこととか、自分の感情が動いた部分を記してるかもしれないですね。この間ちょうど振り返ってみたんですけど、見たくない部分も含めてちゃんと書き出してると見直すのはすごく恥ずかしいんですがその時の自分を俯瞰することができます。揺れ動いている部分も含めてページを読み進めていくと、ちょっとずつ変化して、そのうちまた戻ったり。生きた感情の記録のようです。あえて感情の動きを文字にして後から観察することもするし自分自身が前向きな気持ちになりたいときに言霊を書くことであえて心地良い状態に持っていくこともあります。淡の間さんにとってのジャーナリングって、なんでしょう?」

 

淡の間「私自身は、自分の思考に責任を持つためにやっていると思います。無意識でも意識的にも常に思考が働いているので、ジャーナリングって自己観察としてはすごく有効な手段だと思うんですね。なんでかっていうと幸せになりたいって頭では考えてるくせに、心の内では全然幸せになりたくないって考えてる人も多いんですよ。自分の思考が働いた時、この世界のどこかで具現化してるのにそれが自分ごとじゃないとなかなか受け取れない。だから結局人を羨んだり、自分には手に入らないものだと願いごとそのものを諦めて遠ざけちゃったりする。こんなふうに自分の思考との摩擦とか乖離が起こってる人ってすごく多いんですよ。分かりますか?…だからジャーナリングをすることって、ただ日常を記録することという意味合いもありますけど、自分の思考に責任を持つ、自分の考えていることを自分なりに形にして確認するためのシンプルだけど唯一の自己観察方法なんじゃないかなと思う。だから良いことだけじゃなくて汚いこととかネガティブなことも書いた方が良いと思うんですね、自分を受け止めてあげるっていう意味では。なぜなら感情の向こう側には必ず願望があるのでそれを自分で掬い上げた方が良いと思うんです。こないだ長野でダイアリーの販売会をしたときに、宿主の山本さん(行者であり花道家)とジャーナリングというか、内省についてというテーマでインスタライブをしたり色々お話ししたんですよ。実は普段の私は、過去の自分のジャーナリングや講座やインスタライブ、自分の感情や言霊が込められたものを振り返ることがすごく苦手なんです。ただ、その時ようやく山本さんとの対話の中で言語化できたことがあって。それは自分が発信した思考とか考えとか、そういうものはかつて自分の一部だったものなので、いわゆる外に出てきた内臓みたいなもの。内臓ってグロテスクじゃないですか、排泄物も含めて。だからそう言う視点で見ると自分の思考を受け止めることってグロテスクな行為なのですが、だからこそそれらをちゃんとした形で供養してあげるというか、成仏させてあげなければいけないものなんだと。逆に言うと、普段から自分の思考を見つめる機会がなかったり、自分の思考そのものを消化できていないともやもやするとか、そう言う状態が起こるんですよね。内省するっているのはそのグロテスクな部分も含めて自分を見つめるっていうこと。鏡の前では自分が自分のことを好きなように見るじゃないですか。見たいように見るそれだけじゃなくて、自分のおぞましいところや見たくないところも含めて一旦感情を書き出してみるジャーナリングと言う作業はセラピー効果があるんだなあと思います」

 

自分の一部を成仏させる

 武笠「なるほど、内蔵かあ。言われてみれば確かにグロテスクですよね。自分を記録の中で振り返ってみるとやっぱり考え方や捉え方も変化しているし、振り返ってみると面白くて。自分が辿ってきた道が分かるから面白いですよね。ちなみにこの記録がはしばらくとっておいたほうがいいんですか?それとも燃やしたりとか?」

淡の間「私は昔、普通に捨てちゃったけど後悔してます。もっとちゃんと受け止めてあげたらよかったなって。そこから捨てずに取っておいてますけど長野で色んな人に聞いたときは他の人にみられないようにぐるぐる巻きにして捨てるとか言ってた人もいましたね。あとは、デザイナーって大量に書いてアウトプットするイメージがあるんですが、武笠さんは書いたものはどうしてるんですか?」

武笠「私、今までは捨てちゃう人だったんですよ。閃いた時にそこら辺にあった紙に書いたりとかしてたから…それを大切にとっておくみたいなことはしてなくて。今は淡の間さんのノートがあるからちょっとストックするようになりましたけど。今までは書き記す場所もバラバラで、iPadだったりスワッチの裏、雑誌の間だったり、場所を決めずにバラバラに書いているから残ってない。なんか捨てたくなっちゃうんですよね。なんでだろう、大切に取っておくってことをしてないですね」

淡の間「多分それが山本さんとの話の時に出てきた、ちゃんと過去の自分の産物とか亡霊みたいなものを成仏できてるかどうかってことだと思うんですよね。自分のデザインというかイマジネーションって、もともとは自分の一部だったじゃないですか。それがうまく形にできているならクリエイションに対して消化不良は起こらないのかな。やりきった!みたいな気持ちがあるから何も考えずに捨てられるのかも。かたや『これは自分が形にしたいことじゃない』って思いながら片っ端から捨てていたらそれはそれで投げ捨てだと思うんですけど。記録を残しておくことは、その時形にならなくても、あとからつながる瞬間があるかもしれないじゃないですか。その時形にできなかったけど、今のこれとこれをくっつけたら面白いみたいな。ジャーナリングがクリエイティブの伏線みたいな受け皿になれるなら素敵だし、それはそれでまるで運命みたい」

武笠「自分にとってすぐ捨てられるものとそうでないものの違いはなんなのかなあ…ちなみに淡の間さんはいつどのタイミングでジャーナリングをしているんですか?」

淡の間「ジャーナリングは朝晩してます。朝のジャーナリングはその日1日のタスクを整理するためになくてはならないものです。今日の自分がどんな方向に進みたいかを確認するみたいな作業も、一つの暗示みたいなものですよね。夜に行う1日の終わりのジャーナリングっていうのは、例えば計画が思ったように進まない日もありますし、一日どんな感情を体感できたかを確認する自己受容のための時間です。逆に何にも確認作業をせずに1日をスタートするって、行先を確認せずに出発するみたいなことじゃないですか。私は頭がすぐ散らかっちゃうので、確認しないで物事を始めると逆に遠回りしちゃうんですけど確認せずにスイスイできちゃう人とかそのまま器用に進める人って多いじゃないですか。羨ましいですね」

武笠「手帳使うか、使わないかと言う性質も偏りがありますよね。文字にすることは、形にするってことじゃないですか。形にしなくても大丈夫という頭を持ってる人だったり携帯のメモで十分みたいな人もいるけど、私はやっぱり頭で考えていることを形にしておきたい、一旦形にして確認したいっていう気持ちが強いかも」

淡の間「そう言うことも含めて性格だと思うし、絶対こうしなきゃいけないみたいなことはないんですけど、そういうことを、ホロスコープの影響とかを見て『こういう星の傾向がある人ってジャーナリングが好きなんだなあ』とか、『自分の思考の処理の方法としてこういう方法を選ぶんだなあ』みたいなことを考察していくことは個人的に結構面白いですね」

武笠「面白い!では、このダイアリーのおすすめポイントを教えてください」

 

淡の間「とにかく書き心地、筆滑りの良い仕様を目指しました。この手帳を使ってくださった方は『何がいいってわけじゃないけど良かった』とか『自分がととのった』とか、あるいは『書いていた願い事が結構叶った!』って方もいて。願い事が叶う手帳っていうふうには触れ込んではないんですけど、そう言われることが多いです。なぜ願いごとが叶ったように感じるかというと、自分でちゃんと行き先の設定をしたから、自分の思考の責任をとったからということだと思うんですよ。つまり、思考を記録するという行為を通して、自分の思考の持ち主は自分で、自分の考えていることを責任を持って受け入れたっていうこと。それが私はジャーナリングの効果なのかなあと思ってます。他にもいっぱい効果はあると思うんですけど、思考をちゃんと自分事にできたり、自分の方向性・舵取りをしたみたいな感じですかね。逆にそれをしてないとぐちゃぐちゃして今自分が何を考えてるのかとか、何をしたいのかとか、何をすべきなのかって分からなくないですか?今、思考がもやもやしている人こそノートを開いて自分の考えていることを記録してみてほしいから、このダイアリーを手にとってみてほしいと思いますね。自分を受け止めてくれる最高の相棒になります」

武笠「2023年もこの手帳と共にジャーナリングができるのが楽しみになりました。どんな景色が見られるのか、どんな共鳴が起こるのか。自分自身の感情や思考に責任を持ちながら1つ1つ形にしていきたいと思います。今年もありがとうございました」

淡の間「こちらこそ、ありがとうございました!」