DREAMING I WAS DREAMING

SENSE
01_
DREAMING
I WAS
DREAMING

SENSE 01_DREAMING I WAS DREAMING

夢は自分の記憶から生み出されているのだという。

つまり、見聞きしたことしか夢には出てこない。魂がたくさんの記憶をいっしょうけんめい食べながら夢を生成する、そんな情景が思い浮かぶ。
ということは、夢というものはわたしたちが思っている以上に、日常の近いところにあるのかもしれない。
だから、目覚めてみて「なんだったんだろうあれは」と思ったものにもきっと価値があるはずだ。

夢で天国に行ったことがある。

なだらかな砂丘がどこまでも、どこまでも続いてた。わたしはひとりぼっちだった。
来たこともない場所なのにそこを天国だと思った。ひとりなのに孤独じゃなかったし、今まで感じたことがないくらい心地よかったからだ。
わたしは思った。自分は死んだらここへ来るのだーー。

わたしたちは眠りいるとき、もしかしたら毎度小さな死を迎えているのかもしれない。夢に見た友人に次の日ばったり出会ってしまった、
なんてことが起こってしまうのはきっと、肉体の存在しない世界でわたしたちがつながっているからだ。

あの砂丘の向こう側にあの子もいたのだろうか。目には見えなかったけど、きっといたのだろう。
がんばって周波数を合わせたら会話をすることができたはず。

昔の人は「夢の通い路」という言葉を使った。誰にも夢に通う路があるのだとしたら、それは網の目のように張り巡らされていることになる。

眠りながら76億人の果てしない記憶の宇宙を底引網で漁ってみる。

こつん、と何かのかけらがぶつかった。

目が覚めた。